トキソプラズマは寄生性原生生物(原虫)であり、様々な恒温動物に感染し、トキソプラズマ症を発症させます。しかし、有性生殖が可能なのはネコ科動物の腸内のみであり、それゆえにトキソプラズマにとってはいかにネコ科動物に感染する確率を高めるかが重要になってきます。この記事ではトキソプラズマが猫の獲物であるネズミ(ラットやマウス)に感染した時に観察される行動の変容とその原因について紹介していきます。
猫の尿に惹かれるネズミ
ネズミは天敵である猫から身を守るために、猫のニオイを忌避する行動(例えば、逃げるなど)をとろうとします。しかし、トキソプラズマが感染しているネズミではそういった行動が減弱してしまいます。
例えば、部屋(2m×2m)の四隅に①自分の巣のニオイ、②水、③猫の尿、④ウサギの尿を染み込ませた床敷を置き、ラットの行動を観察した研究があります1)。その研究では、トキソプラズマへの感染の有無にかかわらず、ラットは自分の巣のニオイを訪れる回数が多いということがわかりました。また、感染の有無にかかわらず、水やウサギの尿を染み込ませた床敷を訪れる回数は変化がありませんでした。一方、猫の尿についてはトキソプラズマに感染しているラットでは猫の尿を訪れる回数が有意に増加するという結果になりました。
同様のことは猫の尿だけでなくボブキャットの尿でも観察されており2)、トキソプラズマに感染したネズミではネコ科動物に対する恐怖心が少なくなることを示唆しているのかもしれません。このことはトキソプラズマが自らの子孫を残すために、宿主の行動を変容させ、ネコ科動物に感染する確率を高めるために起こると考えられています3),4)。

しかし、気をつけたいのはあくまでも、ネズミがわざわざ猫の前に出てきて自ら進んで餌になりたがるというわけではないということです。トキソプラズマに関する研究している研究者はarsTECHNICAの取材に対して次のように述べています。
トキソプラズマに感染したネズミたちは猫への恐怖をなくしたわけではなく、ほんの少し恐怖が減弱したというだけです。恐怖を全く感じなくなるという魔法の杖のような期待をするかもしれませんがそういうわけではありません。猫の首輪などの猫のニオイがより強いものをトキソプラズマに感染したネズミに提示すると、その効果はなくなります。ーAjai Vyas
では、なぜトキソプラズマに感染したネズミが尿に惹かれるようになるのでしょうか?ここでは2つの仮説を紹介していきます。

トキソプラズマが居座る脳領域が影響を与えている?
トキソプラズマがネズミの行動を変化させる原因として、従来より考えられているのはトキソプラズマが居座る脳領域に関連しているというものです。猫のトキソプラズマ症の記事でも述べたようにトキソプラズマに感染すると、感染した動物の免疫系が働き、トキソプラズマの活動が抑制され、ブラディゾイトという感染形態になります。この感染形態では体の様々な領域で組織シストというものを形成し、その部分でトキソプラズマが緩やかに増加していくようになります。そして、この組織シストが形成されるような場所として多いのが脳になります。
そのため、トキソプラズマがある特定の脳領域に居座り続けることで、脳活動に影響を及ぼし、ネズミの行動が変化したのではないのかと研究者らは考えました。特に、側坐核や視床下部腹内側核、扁桃体と呼ばれる領域において弱い局在性が観察されるとされています3),5)。これらの領域は恐怖や意思決定に関連しているとされています。特に扁桃体に関しては、闘争・逃走反応やフリージング(すくみ行動)などを引き起こす脳領域であり、扁桃体を損傷したラットにおいては猫に近づく行動が観察されるということも報告されているため6)、特に注目を集めています。
しかし、最近では多くの研究がトキソプラズマが様々な脳領域で組織シストを形成することを報告しており7),8)、ある特定の脳領域にかたまって組織シストが形成されるという仮説については議論が多いのが現状です。

脳内のドーパミンの増加が影響を与えている?
トキソプラズマが感染した神経細胞において、多くのドーパミンと呼ばれる神経伝達物質が認められることが報告されています9)。事実、トキソプラズマはドーパミン産生に関わるAAH1とAAH2と呼ばれる遺伝子を持っています3),4), 10)。この遺伝子はチロシンヒドロキシラーゼと呼ばれる酵素をコードしており、この酵素はチロシンからL-DOPA(L-3,4-dihydroxyphenylalanine)を産生します。このL-DOPAはドーパミンの前駆物質であるため、トキソプラズマが感染した神経細胞においてドーパミン産生が高くなると考えられています。
しかし、すべての神経細胞においてドーパミン産生が増加するのではなく、あくまでもドーパミンを放出することのできる神経細胞において増加するようです。実は、トキソプラズマはL-DOPAを合成することが可能であるものの、その次の段階であるL-DOPAからドーパミンを合成することができないと考えれています。これはトキソプラズマがDOPA脱炭酸酵素を有していないためです4)。そのため、その酵素を有しているドーパミンを放出する神経細胞のみにおいて、ドーパミンの産生が増加すると考えれています。
ドーパミンを神経伝達物質として放出する神経細胞が構成する神経回路は報酬や快感、動機づけ、目標指向性の行動に関連しているとされています3)。トキソプラズマの感染によりドーパミン産生が増加すると、それらの神経回路が活動するために、本来ならば抑制されるような探索行動(猫の尿を探索するなど)をとってしまうと考えられています3)。
ただ、遺伝子操作を行ったマウスを用いた研究などにおいて、トキソプラズマの感染が脳内のドーパミンの量を増加させることができなかったということも報告されているため2)、本当にトキソプラズマの感染が脳内のドーパミンの量を増加させるのかについては不明です。
まとめ
ネズミがトキソプラズマに感染すると行動の変容が起こります。そして、それらの行動の変化はおそらくトキソプラズマの種の保存を行う上で意味をなすものと考えれています。しかし、その効果がどの程度のもので、どのようにして行動変容が引き起こされるのかは未だに不明のようです。
今回の記事で紹介した2つの仮説の他にもトキソプラズマが精巣に居座ることにより、性ホルモンであるテストステロンの放出が増加し、扁桃体内側部に影響を与えることで、生殖行動を引き起こすとともに自身の身を守ろうとする防御性の行動を抑制するように機能するのではないかという仮説もあります3)。しかし、それらはオスのラットにおいての話であり、メスにおいては不明です。
さらに、トキソプラズマが感染した際に生じる免疫系の作用により、脳のセロトニンと呼ばれる神経伝達物質が減少することも行動の変化を引き起こす可能性が示唆されていますが、その効果についてはかなり限定的であるという見方が一般的のようです4),11)。まだまだ、トキソプラズマについては謎が多いようです。
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参考文献
1) Berdoy M, Webster JP, Macdonald DW. Fatal attraction in rats infected with Toxoplasma gondii. Proc. Biol. Sci(2000). 267, 1591-1594.
2) Wang ZT, Harmon S, O’Malley KL, Sibley LD. Reassessment of the role of aromatic amino acid hydrox- ylases and the effect of infection by Toxoplasma gondii on host dopamine levels. Infect Immun(2015), 83(3):1039-47. doi: 10.1128/IAI.02465-14.
3) Vyas A. Mechanisms of Host Behavioral Change in Toxoplasma gondii Rodent Association. PLoS Pathog(2015), 11(7): e1004935. doi:10.1371/journal.ppat.1004935
4) McConkey GA, Martin HL, Bristow GC, Webster JP. Toxoplasma gondii infection and behaviour – location, location, location? The Journal of Experimental Biology(2013), 216, 113-119. doi:10.1242/jeb.074153.
5) Vyas A, Kim SK, Giacomini N, Boothroyd JC, Sapolsky RM. Behavioral changes induced by Toxplasma infection of rodents are highly specific to aversion of cat odors. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America. 2007 Apr 10; 104(15):6442–7. PMID: 17404235
6) Blanchard DC and Blanchard RJ. Innate and conditioned reactions to threat in rats with amygdaloid lesions. J. Comp. Physiol. Psychol(1972). 81, 281-290.
7) Berenreiterová M, Flegr J, Kuběna AA, Němec P. The distribution of Toxoplasma gondii cysts in the brain of a mouse with latent toxoplasmosis: implications for the behavioral manipulation hypothesis. PLoS ONE(2011) 6, e28925.
8) Hermes G, Ajioka JW, Kelly KA, Mui E, Roberts F, Kasza K, Mayr T, Kirisits MJ, Wollmann R, Ferguson DJ, Roberts CW, Hwang JH, Trendler T, Kennan RP, Suzuki Y, Reardon C, Hickey WF, Chen L, McLeod R.. Neurological and behavioral abnormalities, ventricular dilatation, altered cellular functions, inflammation, and neuronal injury in brains of mice due to common, persistent, parasitic infection. J. Neuroinflammation(2008), 5:48.
9) Prandovszky E, Gaskell EA, Martin H, Dubey JP, Webster JP, McConkey GA. The neurotropic parasite Toxoplasma gondii increases dopamine metabolism. PLoS ONE(2011), 6, e23866.
10) Gaskell EA, Smith JE, Pinney JW, Westhead DR, McConkey GA. A unique dual activity amino acid hydroxylase in Toxoplasma gondii. PLoS One(2009), 4(3):e4801. doi: 10.1371/journal.pone.0004801 PMID: 19277211
11) Tedford E and McConkey G. Neurophysiological Changes Induced by Chronic Toxoplasma gondii Infection. Pathogens(2017). 6:19; doi:10.3390/pathogens6020019.
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